20000余戸の大国。
北九州を統べる一大率がおり、使いが駐まる迎賓館である後の鴻臚館(こうろかん)があるところ。
那津、那の川流域、今の福岡平野に栄えたこの大国は邪馬台国連合のなかでもナンバー2の地位をもっていたことでしょう。
面白いのは、魏が帯方郡に置いた太守を、皇帝との間に入れて朝貢などのやりとりをしているのを、倭国も猿真似をして一大率なる役職をつくり同様に女王との間にいれてやりとりをしているところでしょう。
倭国が精一杯の背伸びをしているのが悲しくなるほどよくわかります。陳寿も苦笑していたかもしれません。
しかしそのようなことは1つも書かず、倭国にもそのようなシステムがあると、さらっと書いてるところが陳寿の誠実なところだと感じます。
つぎに不彌國です。
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