2007年7月12日木曜日

邪馬壹國

>南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月

南にようやく邪馬壹國です。
しかしどこの南でしょう? 投馬國でしょうか? 不彌國でしょうか?
ここも距離は書かれていません、代わりに水行10日陸行1月です。

陳寿はどう考えていたのでしょう、混乱していたのでしょうか?
邪馬壹國ははるか彼方にある国なのでしょうか。

南いたる邪馬壹國、女王のいる都
(全行程)水行10日、陸行1月
とも読めます。これは後に書かれている一文

>自郡至女王國萬二千餘里
郡から女王国に至るまで12000余里

と合わせて考えると、全行程のことと捉えるのが妥当な気がします。
では「水行十日陸行一月」は蛇足だったのでしょうか。
そして投馬國は何だったのでしょう?

多くの謎を残し、邪馬壹國に至りました。
しかしここは何処でしょう?
福岡平野の南でしょうか?
南の海のなかの投馬國のさらに南の彼方でしょうか?
南ではなく東なのでしょうか?

何かがおかしいです。
陳寿はどのような解釈でこれらを書いたのでしょうか?
陳寿が間違えたのは距離でしょうか?方角でしょうか?あるいは両方でしょうか?

何かがおかしいです。
もう一度、日本上陸のところから考え直してみることにしましょう。

次はフィクションです。

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