三国志は陳寿(ちんじゅ,233~297)が記したものですが、倭国に陳寿が直接きてその紀行文を書いたわけではありません。
倭国に2度送られた魏の使い、梯儁(ていしゅん)と張政の報告書、および漢書や魏略などといった歴史書、またはそれらの資料を元に書いています。
これらを纏めて1つの文章にしたわけで、当然そこには陳寿がどういう解釈でその文章を書いていったのか、というところが問題になります。
過去多くの読み方がされてきましたが、それらは陳寿がどういう解釈をしたのかという部分を考慮せずに、書かれた文章が正しいとか間違えているとか言われてきました。
しかし、そもそも陳寿の解釈が間違えている可能性が多いにありえます。
いわばこの陳寿の勘違いに振り回されてきたのです。
まずは記述されている行程を見てみましょう。
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