2007年7月12日木曜日

伊都國2

ここでいう伊都國2とは、梯儁(ていしゅん)の報告書にあっただろう伊都國、今の前原市(まえはるし)辺りに比定される伊都國とは別の、張政の報告書に書かれていたであろう、末盧國から南東500里で到る国のことです。

末盧國から松浦川沿いを南東に上っていき多久市そして小城市に到る道です。
現在の唐津街道の片端に位置する伊都國2は、おそらく関所的な役割も担っていたのでしょう。
このことは、陳寿に伊都國=倭奴國と勘違いさせるに十分なことでした。
関所として荷の検閲などをすることが、“常にが駐る所”や“一大率がいる国”といった勘違いをもたらしたのです。
これが以前に伊都國のところで書いた、勘違いをしたもう1つの理由です。

実際に迎賓館や一大率(こちらは背伸びかもしれませんが)は、福岡平野にある奴國にあったのでしょう。前原市の伊都國や関所の伊都國2ではなかったはずです。

つぎは奴國2です。

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