2009年10月20日火曜日

卑弥呼の没年 244年死亡説

倭人伝の最後のほうには、景初二年(238年)の記事の後に、正始元年(240年)からの出来事が記述されています。少し長いですが全文引用しておきます。


正始元年、太守弓遵遣建忠校尉梯儁等、奉詔書印綬詣倭國、拜假倭王、并齎詔賜金・帛・錦[四/(炎り)]・刀・鏡・采物。倭王因使上表答謝恩詔。

其四年、倭王復遣使大夫伊聲耆、掖邪狗等八人、上獻生口・倭錦・絳青[糸兼]・緜衣・丹・木[犬付]・短弓矢。掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬。

其六年、詔賜倭難升米黄幢、付郡假授。

其八年、太守王[斤頁]到官。倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和。遣倭載斯・烏越等詣郡説相攻撃状。遣塞曹掾史張政等因齎詔書・黄幢、拜假難升米、爲檄告喩之。卑彌呼以死。大作冢。徑百餘歩、徇葬者奴婢百餘人。更立男王、國中不服、更相誅殺、當時殺千餘人。復立卑彌呼宗女壹與年十三爲王、國中遂定。政等以檄告喩壹與。壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還。因詣臺、獻上男女生口三十人、貢白珠五千孔、青大句珠二枚、異文雜錦二十匹。


読み下しには他のサイトの和訳などを参考にしてください。

通常は、8年の記事に卑彌呼以死の文字があることから、8年か7年に卑弥呼が死亡したのだろうと解釈されています。まぁ普通の解釈云々は(一度書きかけましたが)皆もう分かっているだろうとして飛ばします。

まず政等以檄告喩壹與(張政等は檄により台与に告喩した)とあることから、この出来事が8年なのが分かります。もし壹與が立つ前に張政が来たなら男王に告喩したでしょう。わざわざ男王が失脚するのを待って告喩するなど考えられない話になってしまいます(未来が見えるオカルトですね)。
では、いつ壹與が立ったのかと見てみると、まぁ書いてないわけですが、逆に男王の記事がないかと見てみると、4年の記事に目が止まります。そう「倭王」です、驚いたことに実はちゃんと書いてあったのです。

正始元年、倭に来た梯儁は卑弥呼と会っていますから、この時までは卑弥呼は生きていたのは確実です。使いは夏に行われるので、おそらく4年か3年の後半に卑弥呼が死亡したのでしょう。そして次の男王が新王の報告も兼ねて4年に遣使したのではないでしょうか。

8年にその男王の後に立った壹與は狗奴國との窮状を魏に訴え、これによって張政が倭にくることになる訳ですが、もしかしたら壹與が立ったのは(男王同様)8年か7年の後半だったのかも知れません。

では卑彌呼以死から政等還までの出来事が8年の記事として書かれているのでしょうか。
8年に倭の遣いが来たことが起点になり張政が派遣され、その張政の報告として「正始元年以降の倭の出来事としてこういう事があったのです」と文章として記述されたために、これらの記事が8年のところにまとめて書かれる事となったのではないでしょうか。


244年(243年)卑弥呼死亡説、なかなか目新しく面白い説だと思いませんか?

まとめ

何回目の「まとめ」なのか数えるのが面倒になってきましたw
前回書いた張政の観音峠ルートのものとして、まとめてみました。
それ以前の文章は張政のルートを唐津街道ルートとして書かれているので混乱しないようにしてください。


私の説は、梯儁と張政の2度の魏使のルートが同一ではなかった、というものです。
別ルートの記録が同一ルートのように記述されているため、今までそのルートが不明とか不正確と言われてきたのではないか、と問題提起しているものです。


さて私説の2度の魏使のルートですが、末盧國以降それぞれ次のようなもとの考えています。
右の「」で書かれた部分は、私が考えている前國からの行程記事の原文の想像です。


<梯儁ルート>
末盧國      唐津市、松浦川流域
伊都國      前原市あたり        「東至伊都國」
奴國       福岡平野、那の川流域    「東至奴國」
不彌國      宇美町、須恵町あたり    「東至不彌國」
投馬國      久留米(筑後川上中流域)  「南至投馬國」
邪馬壹國     筑後川下流域        「南至邪馬壹國」


<張政ルート>
末盧國      唐津市、松浦川流域
B國(伊都國2) 古湯温泉または富士町あたり 「南東500里至(次の國)」
C國(奴國2)  肥前国庁跡あたり      「南東100里至(次の國)」
邪馬壹國     吉野ヶ里~筑後川下流域   「東100里至(次の國)」


また魏使のルートとは別に次の情報が混ざっていると考えています。
E國(投馬國2) 琉球(沖縄)        「水行20日」
(水行10日陸行1月は郡から邪馬壹國までの日数(倭人からの伝聞情報)で、水行20日の目安のための情報)

B國・C國やE國は、張政ルート上の名の分からない國を便宜的に名付けたものです。