2009年10月20日火曜日

まとめ

何回目の「まとめ」なのか数えるのが面倒になってきましたw
前回書いた張政の観音峠ルートのものとして、まとめてみました。
それ以前の文章は張政のルートを唐津街道ルートとして書かれているので混乱しないようにしてください。


私の説は、梯儁と張政の2度の魏使のルートが同一ではなかった、というものです。
別ルートの記録が同一ルートのように記述されているため、今までそのルートが不明とか不正確と言われてきたのではないか、と問題提起しているものです。


さて私説の2度の魏使のルートですが、末盧國以降それぞれ次のようなもとの考えています。
右の「」で書かれた部分は、私が考えている前國からの行程記事の原文の想像です。


<梯儁ルート>
末盧國      唐津市、松浦川流域
伊都國      前原市あたり        「東至伊都國」
奴國       福岡平野、那の川流域    「東至奴國」
不彌國      宇美町、須恵町あたり    「東至不彌國」
投馬國      久留米(筑後川上中流域)  「南至投馬國」
邪馬壹國     筑後川下流域        「南至邪馬壹國」


<張政ルート>
末盧國      唐津市、松浦川流域
B國(伊都國2) 古湯温泉または富士町あたり 「南東500里至(次の國)」
C國(奴國2)  肥前国庁跡あたり      「南東100里至(次の國)」
邪馬壹國     吉野ヶ里~筑後川下流域   「東100里至(次の國)」


また魏使のルートとは別に次の情報が混ざっていると考えています。
E國(投馬國2) 琉球(沖縄)        「水行20日」
(水行10日陸行1月は郡から邪馬壹國までの日数(倭人からの伝聞情報)で、水行20日の目安のための情報)

B國・C國やE國は、張政ルート上の名の分からない國を便宜的に名付けたものです。

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