ここに来て張政ルートを改訂しようかと考えています。
唐津市から松浦川沿いの唐津街道を通って佐賀平野に抜ける道は、確かに倭人伝の記述にもよく合っており、また唐津街道自体も古くから使われていた道であり、確かに張政ルートとして非常に魅力的であります。
しかしそれ以上に私が惹かれているのが、唐津市から現国道323号の観音峠越えの道なのです。
このルートでは唐津市から東へ行きその後南へ下る、そこに古湯温泉があります。ここがB國、南東500里の國と見ることができます。(あるいは富士町の可能性もあるでしょうか)
古湯温泉からまた東に少し行きその後南に下ると肥前国庁跡(佐賀大和IC付近)にでます。これが南東100里のC國。
そこから東100里が吉野ヶ里(邪馬壹國の領域の一部)となります。
唐津街道ルートの方が南東という語感から受ける道程としてはぴったりなのではありますが、この観音峠ルートでは次のような点で唐津街道ルートより優位だと考えています。
1.邪馬壹國(筑後川下流域)に行くのには唐津街道ルートより距離が短いように思える。また唐津街道ルートは佐賀平野に抜けるのなら良いのでしょうが、この時の目的地は邪馬壹國(筑後川下流域)なのですから、観音峠ルートが採られたとしても不思議ではないです。
2.唐津街道ルートよりB國→南東100里→東100里という記述が合致しているように思えるところ。
3.唐津街道ルートならば倭人伝に川沿いである旨の記述がされるのではないかという疑念。
もっとも吉野ヶ里は3世紀半ばにはすでに衰退していたようなので、最後の東100里の行程の先が吉野ヶ里である必要性は低いのかもしれないです。そうなると唐津街道ルートでも方位の合っているルートを考えることが十分にできますが。
現時点では、唐津街道ルートなのか観音峠ルートなのか、まだどちらなのか決めかねているところです。
しかし一応言って(書いて)おかないと、後になって「私も考えていた」などというのは後だしジャンケンのように思われて嬉しくないので。
ちなみに観音峠ルートの存在は2chの掲示板で教えていただきました。この場をかりてお礼を申し上げます。